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No Physics プロローグ 

No Physics




プロローグ





 夕日が不気味なほど赤い夕方だった。

 果てしなく、果てしなく広い平野に広がる草原は、空から図りきれない量の赤いペンキを空からぶちまけたかのように、草原の色であるはずの緑は失われ、真っ赤にすべてが染まっているようだった。

 何もない平野、何もない空、いつもなら誰も通ることのない草原。

 全てが赤いその平野、見えるはずの草原は“何か”によって殆ど全てが隠されている。

 しかし、いくつかの葉は“何か”の隙間からわずかにのぞいて、その生命力の強さを示すように力強く立っていた。

 仲間であるはずの他の葉たちが“それ”によって押しつぶされていようと、自分はきちんと成長を遂げようと葉は力強く、土中に力強く張る根の力も借りて草原に堂々と立ち続けている。

 いつもなら、そんな葉はどこででも見ることが出来るし、見るものは、それに何の興味も示さない。

 それは“当然”だから。“堂々と”なんて見るものが感じることはないだろうけど、立っていて当然だから。でも、例えそれが何かの力で押しつぶされていたとしても、人はどうとも思わない。

 自分には何の関係もないから。葉がひとつ、いや何本倒れていたって、“雑草”が倒れているところで自分には何の関係もないから。

 いつもの視線ならそう感じるはずなのに、幾つかの葉が立っているのが、こんなにも力強く感じられるのは何故だろう。

 そしてそれを見る感情が、9割5分の恐怖と、0割5分の悲しさで占められているのは何故だろう。










 ―――理由なんて、考える必要もなかった。






 この視界の中に見えるのは、見渡す限りの冷たくなった“人であったもの”と、赤い模様―――血の海―――ばかりだったからだ。

 “人であったもの”と言うのは、今見る限り、“それ”は人だったものには到底見えないせいだ。

 “赤い模様”と言うのは、もう赤すぎて血なのか、夕日の赤なのか判別すらつきづらいほどに模様は海のように広がっていたからだ。

 “人であったもの”の殆どは、四肢を維持しているものなど殆どなく、四肢どころか胴体さえも原型をとどめず、中身をぶちまけているものが殆どで、常人なら到底見るに耐えないものばかりだろう。

 そして固まりきっていないその肉塊から滴れ落ち続ける血液は、塊と塊の間に溜まるように、下の草原へ養分を与えていくかのように地面を赤く染めていく。

 それでも、葉は赤い液体から養分を貰い受けたかのように、ぴん、とその体を力なく傾けることなく立ち続ける。

 植物とは、いや人間の力を借りることなく育っていく自然の力はやはり雄大なのかもしれない、と思わせるかのようだった。

 この文字通りに殺風景な中で、力強くたち続ける植物達の姿はこの光景の中では唯一の救いの姿だったのかもしれない。



 しかし、それを除けばどこまでも陰惨で、むごたらしくて、残酷すぎる光景だった。それでも、植物でなければ、降り立った鳥でもなく、通りかかった動物でもないものが、あらゆる形をした肉塊の中にぽつんと立っている者があった。

 その目はどこまでも冷たく、どこまでも無感情で、どこまでも読み取ることはできない。

 彼の全身全てが赤く染まり、赤い液体が頬を伝って雫となって落ち、彼の踏みつけている足の裏には肉片があった。

 しかし彼は、全ての周りの光景に何も反応しようとしない。

 理解はしている。しかし、それに対する感情もなければ、体にもなんら異常はない。

 彼は全て現実として受け止め、それをどうとも思っていなければ、何も恐れてもいなかった。

 彼を何も知らない者が見れば、今の彼の姿と、ここから予想される彼の本能、それらに心のそこから恐怖し、彼を無慈悲の残虐者と嘲る事も忘れて逃げ出すだろう。

 そして―――この“10歳にも満たないであろう少年”がここから生き延び、成長した将来にどんな凶悪な殺人者になるか、どんなに残虐で無慈悲な鬼と化すのかと忘れられなくなるだろう。

 それだけ、この光景は見るものを恐怖に落とし、正気でいることをできなくするだろう。



 一筋の風が、この地獄に吹き、少年の髪を揺らす。

 しかし、少年はそれを認識していても、興味を持つことはなく、ただずっとどこかを見つめているだけだった。

 同時に、風は僅かに立ち続けている葉も揺らす。しかし、数が少なすぎるために葉同士がこすれあって奏でる静かな音色を響かせることはない。

 少年は初めて、瞳だけ動かして音を奏でることのない葉を一瞥する。

 しかしそれは一瞬で、すぐさまその視線はまたどこか彼方の方向へと向けられた。


「―――」

「?」


 少年の表情に、感情が生まれる。

 何かに気付いてのか、初めて首を動かして周りをきょろきょろと見回す。その仕草は、この陰惨な光景には全くの不釣合いな10歳に満たない少年らしい仕草だった。

 しかし、その仕草も少年がそれを気のせいだと判断してまた視線を下に戻すことで終結する。

 だが、再び少年は何かを感じ取る。


「――――――」

「なに……?」


 子供の声。

 あどけない、何も分らない、何も知らない、普通の子供の声。

 それは、この光景を前にする子供の声だろうか。

 この陰惨な場所での声だろうか。


「あ……」


 気配を感じて、ふと見上げると、高い、高い空から白いものが降ってくるのが目に見えた。

 少年はそれをぼうっと見つめる。白いものはひらひら、ひらひらとゆっくりとした速度で舞い降りてくる。

 それを少年は追おうとはしなかった。興味がなくて、する気がなかったからだ。

 しかし、その白いものは少年に向かってくるように、風にもまれたかと思うと、逆の方向に押し戻され、今度は行き過ぎたかと思うと、また風にもまれて少年の方へと舞い降りてくる。

 少年の中に、またひとつ感情が生まれる。これは“綺麗”だ、と。

 綺麗だ、と少年は思った。次はどうすればいいのか。少年の頭は考え、コンマ数秒で答えを導き出した。


 “あれを追いかけよう”、と。


 足は自然に動いた。少年の感情がどうということではなく、自然に、だ。

 羽はその少年を確認して悪戯をするかのように、今度は風にその身を任せてどこかへて流れて飛んでいく。

 少年はそれを追う。


 

 少年の足が地上を踏む度に、赤い液体がぴちゃん、と音を立てて飛び散った。


 少年の足が土と草ばかりであるはず地面を踏む度に、地面にあった塊が人間の肌の感覚を少年の裸足の足の裏に送った。


 少年の足が塊を蹴り飛ばすたびに、中に残っていた赤い液体が飛び散り、その塊は数メートルほど勢い良く一瞬7センチほど浮いて飛び、また塊の中に紛れるように飛び込んだ。




 ひらひら、ひらひら、と白い“それ”は落ちながらも舞い続ける。少年にはその動きが自分を誘っているように思えた。実際、そうかもしれない。

 “それ”を舞わせている風は、決して少年のほうに向かい風に吹くことはなく、それを少年から逃がそうとしているかのように拭き続けているのだから。

 それでも、“それ”は少年の背丈2人分ぐらいの高さにまで落ちてきていた。


 もう少し。


 もう少しで、手に取れる。


 少年は、足元が刻々と足元に転がっている“もの”で赤く汚れていくのも構わずに、“それ”を追い続ける。
 舞いながら少しずつ降りてくるそれを、追い続ける。


「あっ……!」


 何かに躓いた少年は、バランスを崩してこける。

 幸いにも地面を埋め尽くしている“もの”がクッションになってくれたお陰で、少年は擦り傷を負うこともなかった。

 ただ、こけてうつ伏せになり、顔を横にするとそこには首から上しかない、そして顔の右上4分の1がごっそりと削ぎ取られている、動かない人と目が合っただけだ。

 そこからはピンク色をした脳漿とかが除いていたけれど、そんなことは少年には関係ない。目があったとは言っても、あちらにはその目をこちらの目を合わせようとか、何かを伝えようと言う意思もなければ、元々もう動くことさえないし、何かを頭で思うことも出来ない。

 ただ、目が合っただけだ。

 すぐにその視線を外して少年は立ち上がり、再び先ほどまで追っていた“それ”を見据える。

 少しだけ遠くへ、先へ行っていた“それ”だったけど、少年を待つかのように風に揉まれて相変わらずゆっくりとした速度で降りていた。少年はそれに追いつくべく走り出すと、待っていたかのように“白い”それも再び風に流されていく。

 ひらひらと、それは舞い続ける。

 もうそれは、あともう少しで手を伸ばせ届くぐらいの高さにまで降りてきていた。

 手を伸ばす―――まだ、届かない。

 もう少し、もう少し。少年は“それ”の速度に合わせて小走りを続ける。

 もう一度、手を伸ばす―――届いた、が―――、それは握った手を躱すように、するり、とすり抜けてまだ落ちていく。

 そして、白い“それ”は風の力を失ったかのように、それまでとは比べ物にならないほどに、急激に地面―――いや、塊が産卵する中に降りていく。

 もう、これ以上どこか遠くへこれが飛んでいくとも思えなかったから、少年は足を止めて、でもそれを掴むことはせずに追い降りていく様子をじっ、と見つめていた。

 さっきよりは早いけれど、白い“それ”は舞いながら、降りていく。ひらひら、ひらひら、と。

 やがて、“それ”は完全に地面へと舞い降りた。地面は肉塊と、それから零れ出している赤い液体で埋め尽くされているから、すぐに白い”それ“は赤く染まって汚れていくはずだった。

 少年はそれが何となく分っていたが、あえて広いことはせず、そのまま見つめることにした。

 すると、どうだろう。

 “それ”は地面に降りても、白さを保ったままだ。表面はどこにも赤くなったような様子はなく、確実に地面に降りていると言うのに“それ”は純白の白さを保ち続けている。

 “それ”を直視し、じっと見つめた。すると、それはどうやら“羽”であるらしかった。

 少年は少し驚いた。

 小さい白い羽を、少年が見る機会がなかったわけではないが、こんなにも美しく、雄大に、華麗に白く輝いている羽を、少年は初めて見た。彼は暫くそれに見とれた。意識はない、ただ、視線が羽から離れなかった、いや、離すことが出来なかったのかもしれない。それほどまでに、その白い羽には魅力的なほどの美しさがあった。

 少年はしゃがみこみ、羽を拾い上げるとゆっくりと立ち上がり、目の前に羽をかざし、そして沈みつつある赤い夕日にそれをかざした。それでも、羽は夕日に染められることもなく白い美しさを保ち続けた。




 どうしてだろう。

 何で、僕はこんなにもこの白い羽に見とれているんだろう。




 少年はこの羽に奪われている、自分の心を不思議に思った。


「ま、いっか」


 少年は羽をかざしたまま、笑顔をつくった。

 それは作り物などではなく、本心から嬉しそうな、そんな美しい笑顔だった。

 少年は羽を半ズボンのポケットの中にしまうと、歩き始めた。

 さっきと同じ、地面に転がっているものに一切構うことはなく、気にすることはなく、何の感情も起こすことなく。





 風が、吹いた。

 途端、少年の姿は、突然に、消えた。


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